雲のむこう、約束の場所

mo2956-s<→公式サイト>
春先のすこし肌寒い昼下がり、
安心できる場所でまどろんでいると、
どこか遠くのほうでひどく内省的な私小説
抑揚のない美しい声で朗読しているのが聞こえる。
眠りの風に身をまかせながら、世界が遠くなるたびに、
その旋律はなんども指先からすり抜けそうになる。
そんな印象を受けた話。


セカイ系、という言葉はよく聞くけれど、イマイチその実感というものが薄い。
それは、古くから日本人に好まれてきた自虐的で炉悪趣味な私小説
その源流にあるような気もするし、昨今の個人主義ゆえに他者のリアリティに
乏しくなった世界観によるものであるようにも思える。
そんな定義をしてしまうと、ではセカイ系ではないと言える物がどれだけあるのだろうかと思う。


美しい。教室の天井も、汽車の天井も、町並みも、駅の階段の鉄筋の張りも、湯気をあげる薬缶すらも美しい。
その反面、人物の動きに関しては、TVアニメレベルではないものの、それほどにこだわりがあるとは思えなかった。
シーンの繋がりもすばらしい。絶妙のタイミングでシーンからシーンへと渡り歩いていく。
だが全体としては単調であり、見ていて疲労する。演出による情報毎のレベル別での印象付けというものが行われておらず、この映画において、どの情報を取得し、どの情報を破棄してよいかという示唆がない。
見ていくうちに抱え込む情報が膨れあがり、順列的に古い情報は押し出されそうになる。


実に雑に言い切ってしまうと、小さなレベルでの演出、編集と絵作りはすばらしい。
特に絵は、よく周りを見ているということにただただ感嘆した。
しかしマクロな、作品全体としての構成と演出に関しては、できていないというより、行っていないという印象を受けた。
たまにあるヨーロッパ系の冗長な映画などで、見終わって「あれ?最初の方で何があったっけ?」と本気で考え込まされる作品がまれにあるが、私はそういったものも嫌いではない。
しかし、新海誠という人が目指していたのは多分そういう方向ではなくて、刺激的ではないながらも十分なエンターティンメントなんだと思う。
だとするならば、監督はもっと映画を見るべきである。


この映画で重要なガジェットである飛行機だが、なんであんな形なのか冒頭から気になっていた。
しかし翼がパックリ割れた時点で愕然。あぁっ!?高々度飛行プローブ!?
輪っかで揚力を発生する設計なのは見て分かってたけれど、そげなマニアックなもんからデザイン引用してくるかいな。